自分という一人の他人と生きていく

 

どうもすうしぃです。「明日よ来るな来るな」と祈りながら昼の1時に目覚めました。毎日がハードですね。厳密に言うと、毎日というより今この瞬間瞬間につかみどころのないぼんやりとしさ苦しみを味わい続けています。

 

ところで誰しも人生で親戚や恋人以上に長く付き合い続けている人間がいます。それは「自分」です。自分というのも言い換えると一人の「他人」ということになります(それは哲学的とも言えるし事実とも言えます)。

 

そのためゆりかごから墓場まで人は自分という他人と付き合い(あるいは向き合い)続けなければなりません。この世界でぼくらはその容姿と中身で長くて120年は生き続けなければいけません。

 

それでも自分という人間が気に入らなければその人なりに対処、順応していく必要があります。容姿を好きになれなければメイクをしたり整形をすればいいし、中身を好きになれなければ自己変革を求めるもいいでしょう。ありのままの自分を認めるのもいいかもしれません。

 

ぼくは自分が好きでした。小学3年生の頃に「自分のことが好きか嫌いかについて」話す授業がありましたが、当時の自分は「自分のことが好き」と語っていたのを覚えています。今はよく分かりません。よく分かりません。

 

先日テレビドラマで佐藤健が女優の神白石萌音萌にキスしているシーンを見ました。仮面ライダー俳優として親しかった彼ですが、今では甘いマスクで女性をトリコにする「共演者キラー」と呼ばれるようになりました。自分も佐藤健になれたらこんな苦しみを味わうこともないのかな、と思ったりします。

 

でもぼくは佐藤健ではありません。佐藤健ではない「すうしぃ」という他人と生きていかなければならないのです。短くて今日まで、長くてあと100年。

 

だから自ら線路に立つことのないように、ひもなしバンジーに突っ走ることがないように自分とうまく付き合っていかなければいけません。自分で自分の悪口を言う(つまり自虐)なんてもってのほかです。

 

今はありのままの自分を認めることができません。だからまずはありのままから離れいている自分を認めて、そこから徐々にに近似値がゼロの自分に近づけていけたらいいなと思います。

 

ありもしない羽で空を飛ぼう...

 

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