いじりという名の「いじめ」


この前友人から外見や性格に対して色々といじられて思った。

「なんで俺こんなにいじられんといけんの?」

この国にはまだまだ「いじり=スキンシップ」のような風潮があるように思う。年末の某テレビ番組ではお笑い芸人がパワハラといっても差し支えないような仕打ちを受けたり、去年まで約20年間続いていたお笑い番組では、年上の芸人が年下の芸人に高額の商品を無理やり買わせて笑いをとるような企画が行われていた。

改めて問いたい。
「いじりはスキンシップなんだろうか?」と。
それに対してはっきり言いたい。
「断じて違う」と。

いじりは「侮辱」でありされる側にとっては単なる「嫌がらせ」でしかない。いじる当人は楽しいのかもしれないけど、いじられる側は馬鹿にされているので不愉快に感じないはずがない。しかもいじることで「いじる側」と「いじられる側」の間に微妙な上下関係が成立してしまう。

しかし、読者の中で「身近にいじられることで喜んでいる人」を知っている人はこの意見に対して疑問に思うかもしれない。

実際はそういう人はいじられることで喜んでいるのではなく、いじられることで「自分は必要とされている」という存在意義を見出しているにすぎない。なぜならいじりという行為にはその人に対する関心が含まれているので、自尊心の低い人ほど「いじり=自分に関心を持ってくれている」と感じやすい。だから人からいじられると自尊心が満たされるので客観的に見て喜んでいるように見える。

けれどそういう人たちはいじりに含まれている侮辱を受け、いじられる側という相対的に低い地位に対して自尊心が削られるので、「いじられる→存在意義を感じるが自尊心が削られる→いじられる→....」という負のスパイラルにおちいってしまう。

もしこれを読んでいる人で友人からいじられてばかりいる人は、その人が君にとって「友人」なのか改めて考えて欲しい。本当の友人ならば君を侮辱なんかしたりなんかするだろうか?君が傷つくのを見て喜ぶだろうか?

「自分、いじられてるな」と感じたら、その人とは距離をおいたほうがいい。なぜなら、いじることを楽しんでいる人は「人の痛みがわからない」タイプか「人の痛みをわかっていてやっている」タイプのどちらかであり、どちらともまともな人間ではない。

もう一度言わせてほしい。
いじりはスキンシップではない。
いじりは「いじめの第一歩」であり、

「パワハラのスタートライン」である。

この世からいじりという名の「いじめ」が少しでも減りますように。
ではでは。