家族という鎖を砕け

今日はひいおじいちゃんの50日祭で帰省していた家族全員と祖父方の親戚と納骨の儀をやったんですが、正直ぼくは家族から完全にハブられてました。

母親や兄は優しかったんですが、相変わらず不仲の父親と妹2人とはぼくが存在していないかのように振舞っていました。完全なるアウェー感。

まるで大阪ドームで阪神と戦う巨人のよう...

高校の卒業式前日のクラス並みのアウェー感を受けたぼくは、やることを済ませて鉄輪から亀川までの4キロを傘も差さずに歩き続けました。

そして今回の経験から悟ったことがあります。
「家族だからといって無理に仲良くする必要は無い」

ということです。

今まで「家族だから仲良くしなくちゃ、愛さなきゃ」という思いに駆られていましたが、家族でも結局は「他人」なんですね。分かり合えないものは分かり合えない気がします。

「家族だから仲良くしなきゃ...」
「家族だから愛し合わなきゃ...」
でも家族だから仲良くしてくれるわけじゃない...
家族だから愛してくれるわけじゃない...

今まで家族という「鎖」に縛られていた気がします。

今日の気づきから肩の荷がフッとおりました。

英語で自由を意味するリバティ(liberty)の語源は「束縛が無いリベラ(liber)」から来ています。家族という束縛から解き放たれた今、前より少しだけ自由になれた気がします。

ありがとう。


P.S.
湘南の風のSHOCK EYEさんは両親からあまり愛されていなかったそうですが、子供ができて「息子や娘が自分のタイプかどうか」で親の愛情の度合いが変わることに気づいたそうです。家族なんて糞食らえ。

 

f:id:soosy:20190922231506j:plain