早稲田大学を中退した兄の話 後編

 

2014年の春、兄は早稲田大学に入学した。
自分が高校2年のころだった。

家族は大喜び、祖父母にいたっては知り合いに言いふらしていた。そのため祖父母の知り合いにあった時「あなたが早稲田に行っているお孫さん?」と言われた。もちろん自分も兄を誇らしいと思った。

 

兄は入学してすぐ早稲田の飲みサーに入った。
飲み会の席では真横でゲロを吐いても誰も助けなかったり、トイレでは便器に顔をうずめたまま動かない人もいたらしい。地獄絵図だと思う。

そして大学1年の9月、兄は早稲田を中退した。

なぜ兄が早稲田を中退したのか直接聞いたことはなかったけど、

親の話と兄の雰囲気から察するに3つの原因があると思う。

1つ目は「学部が合わなかった」から、
2つ目は「東京が合わなかった」から、
3つ目は「燃え尽きた」から。

1つ目の理由は言葉通りで、建築学科は兄にはあっていなかったように思う。文系学部なら合う合わないでもなんとか続けられるけど、「建築学科」となると話が変わる。さらに「早稲田の建築」というと、日本で3本の指に入るほどの建築学のエリートコース。難解かつ過大な講義、大量の課題とデッサン。よほど建築が好きじゃないと続けるのは難しい。

2つ目の理由も言葉通りで、兄には東京の街が合っていなかったように思う。朝夕の満員電車や雰囲気にうんざりしていたのかもしれない。東京のベンチャーに内定が決まった時も、「東京はややな〜。なるべく早く福岡支社に転勤したい」と言ってた。

3つ目の理由としては、大学に入ったと同時に「燃え尽き症候群」にかかったせいだと考える。うちの家庭では学歴の重要性を小さい頃から聞かされていたせいか「学歴至上主義」が強く、兄にとって一流大学に入ることが一つのゴールになっていたように思う。そのため、大学に入ってから目標を見失ったのかもしれない。

夏に兄が帰省した時、兄は泣きながら親に相談していた。ちなみに兄が泣いた姿を人生で5回ぐらいしか見たことがない。そして次の年の3月に大分に戻ってきた。

「やっぱり大分がいいわ」

そう言って兄は一年間自宅浪人をしてAPUに入った。
2015年の春のことだった。そしてオーディションのあるサークルにも入ったりインドネシアセブ島に短期留学をして頑張っていたと思う。

 

実は自分がAPUへの入学を決めたのも、兄がそこに入学しているというのが理由の一つだった。「アイツがいるんなら、APUは信頼できる大学だろう」と。


パナソニックの創業者である松下幸之助は生前こう言った、「成功というのは、自分に与えられた天分を、そのまま完全に生かし切ることではないでしょうか」と。

兄は賢いし高いポテンシャルを持っていると思う。
その持ち前のポテンシャルを彼が本当に進みたい方向に進んでくれると同時に、自分も自分の「天分」を活かし切れることをただ祈るばかりである。


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