友達から送られたきた文章が文筆家としての才を匂わせる

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どうもすうしぃです。

去年の11月ごろに大学の友人とケンカしたんですが、その数日後に

彼から送られてきたメッセージが文筆家としての才を匂わせたので

掲載しようと思います。彼からブログにあげることは承諾を得ていますので

ご安心ください (煮るなり焼くなり好きにしていいとのこと) 。

 

 

 

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題名  :「雑文」

 

さて、ここでは僕の言い分を書くとは言ったけれど、とりあえず詫びを入れようと思う。君の期待を裏切るようなことをして悪かった。正直本当にそうなのかは判らないが僕が感じているところはそうだ。恐らく僕は君の期待を裏切ったのだろうと。

 

さてその期待とは。僕が少ない人生経験から察するに君は僕に胎の探り合いを必要としない、面倒が少なく、愚直なまでの信を第一とする、そのような人間関係を求めていたんじゃないかと思う。人と人とができる限りシンプルな言葉で意思疎通を行い、相手が求めることを瞬時に察し、必要な措置を取り合うことができる。そこには互いに敬意と思いやりが存在している。素晴らしい、理想的で、美しく、シミのない世界。悪いけれど、僕はその期待にこたえられるような人間じゃない。

 

ご存知の通り僕は非常に素直じゃない。ひねくれ者で、物事を常に斜めに捉える。疑念と共に生きているといっても間違いではない。それに加えて僕は上に述べたような人間関係は別に望んじゃいない。むしろ反吐が出る。君の望む信頼は言葉の少なさで担保されるのかもしれないが、僕にとっての信頼はどれだけ言葉が交わされたかによって担保される。疑念や不安があるのであれば言葉を尽くす。まあ、その言葉は僕の性格上全くもって穏やかなものではないが。兎も角、人は疑念をもってこそより良い関係を築けると考えているし、シミのない潔癖な世界はつまらないと感じる。(そんなものは青春小説の中にしか、人生のごくわずかの中にしか存在しない半ば幻想に近いようなものだとも思う。そして僕はその段階をとっくのとうに通過している)

 

ひとことで言えば僕の望むそれは非常に面倒くさい。だからこそ僕は殆ど人との付き合いを持っていない。僕は面倒なことは嫌いだし、だいたいの人は僕と同意見だと思う。ならば望まないことをする必要はない。僕が中学2年生のころ、クラスメイトに「やっぱりお前のこと嫌いだわ」と言われたことがある。僕はただ笑って「あら、そう」と返した。それでいいと思う。君もそうすればいい。僕は同じように、「あら、そう」と返すだけだ。

 

僕はそれなりに長い期間付き合いのない人でない限りこのようなものは求めない。君はそれなりの期間付き合いがあったからそのようなものにも耐え得る(?)のだろうとも思った。これは間違いなく僕の読み違えだった。人の価値観はそれぞれ異なる。そんなことはわかりきっていたはずなのに僕はそれなりの付き合いから勘違いを起こして多くのものを、君が求めたものと正反対のことを求めすぎたのだと思う。敬意と思いやりを持って君と対等に付き合おうとしたのだけれど君が向いている方向と別の方向を向いていたのだから意味はなかったのだろう。まあ、今回のことを細かく言うのであれば貸すという言葉の中にあげるというニュアンスが含まれる場合があるのだということを想像もできなかった僕の想像力の欠如が原因であるともいえる。

 

こう長々と書いてきたけれど、(とはいえ1200字ちょっとだが)結びとしては面倒なことはやめてしまえばいい。僕は君の意志を今までと同じように受け入れるだけ。


追伸

異論反論があるならば君が好きな対面の会話ですればいい。ただ僕はこういう文章における一方的なコミュニケーションの方がこの場合有用だと思う。対面の場合は打てば響くのが早いが、時間が短い為に相手の言い分に対する冷静な反論が困難になる。その点文章は落ち着いて時間をかけて書くからこういう場合は文章の方が好ましいと思われる。

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〜ケンカをした原因〜

彼とケンカをした原因は、彼からノートを借りたところ会うたびに何度も

「大事にしてよ」と釘を刺されたことでした。

実は彼に怒ってしまった一番の原因は当時精神的に不安定だったことなん

ですが、彼に対しても色々と不満点があったので沸点を超えるちょうどいい(?)

タイミングだったのかと思います。

 

〜彼という人間について

文章にも書かれていますが、彼は自身を「ひねくれ者」と称しています。

ぼくなりに彼を一言で言うと、ペシミスト (悲観論者 )」という言葉が近いと思い

ます。また、彼は物事 (特に対人関係) に対して、どこか諦観的 (あきらめ、悟っている)

な印象があります。彼は文章で中学生の頃に知り合いから「嫌いだ」と言われたと語っ

ています。親の都合で幼少の頃からアメリカやメキシコなどの国々を転々としていた彼

は、日本語の次は英語、英語の次はスペイン語とその環境に順応に苦悩していたのか

もしれません。そしてその苦労が彼の中の「自分ではどうしようもない」気持ちを育て

たのかもしれません。外見は普通の好青年ですが(むしろビジュアル的には彼女がいても

おかしくはない)、物事をあまり素直に受け止めにくい内面を持っているように思いま

す。そのため人と積極的に関わるのを避けているようにも思います。

 

〜彼と自分にある先〜

私は直感的に人を一目見て「この人と仲良くなれるかどうか」が分かるのですが、

彼と最初に会った時は「仲良くなれそうだ」と思いました。

今もそれは変わっていません。キャパシティ(許容量)の範囲内です。

そもそもそうでなければ3年も付き合ってない笑

先日も彼の家でスマブラをやってキッチンを借りて鳥の照り焼きを作りました笑

大切なのは距離感です。近すぎず遠すぎず。

ベストな距離感で彼と付き合っていこうと思います。

腹たったらちゃんと言うけどね(笑)。

 

 

P.S.

彼の文章について感想をいただけると嬉しいです。