すうしぃの日常

大分生まれ大分育ちで大分在住、22歳の若造。別府市のAPUに通いながら、人生の大海原を絶賛迷走中。

大学に落ちた時の話

2014年3月25日の午後5時半。
ぼくはあの時家から6キロ離れた高校近くのヤマダ電機にいた。

6時から公開される私立大の後期入試の合格発表を店内のスマホで見るためだった。

 

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その時までに2つの国立大学を受けていてどちらも不合格だった。そして他に受けていたのは後期私大入試一つだけだった。センター試験の英語の点数と小論文の試験。

英語が得意科目だったから小論文をやればいけるんじゃないかと思って受けた。


6時までの時間がやたら長かったように思う。
そりゃ当然か。その入試に落ちたら後がなかったし、

何より親になんて説明したらいいのか全く分からなかった。

6時になって店内のiPhoneで私大の合否案内センターのサイトに入った。

そして自分の試験番号を入力した。

 

 

 


「このたび2014年度一般選抜入試(学部個別日程)◯◯部を受けられましたが、

合否判定の結果、不合格となりました。」

 



頭の中が灰色の冷たい液体で満たされたような感じだった。
見た瞬間不合格という三文字が分からなかった。
しばらくしてから「自分はこの大学には入学できない」ということを理解した。
店を出て、自転車を押しながら河原沿いの道を歩いた。
泣いた。ただ泣いた。


俺の三年....俺の三年....俺の三年....
朝6時の起床、8限分の授業、大量の課題に土曜学校。

「俺の青春はなんだったんだ...返せよ、俺の3年....」

下を向いて歩いていたからアスファルトしか見えてなかった。向かいからランニングをしていたおじさんに走り際に「大丈夫か!!」って言われた。すぐにおじさんは走り去っていった。

なぜか泣いていた時ドラゴンボールのパラガスの
「いいぞ〜!!」のセリフが入ってきた。
訳が分からず余計泣いてしまった。

 

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家に帰って親に結果を言えずにいると、
「大学が落ちてもまだ先がある」と言われた。
渡りに船だった。父親は二浪してから東京の美大に入った。

不合格のつらさが分かっていたんだと思う。

振り返ってみると自分なりの努力はしていたと思う。
ただ、大学受験という与えられた問題を解決してポイントを稼ぐゲームに対して

ぼくは的確なアプローチをしていなかったと思う。


あの時の失敗や悲しみは今に役立ってると思う、
同じ失敗を起こさないための経験として。
それもあって最近はあの時の自分より少しだけ幸せになれた気がする。そしてあの時の経験をふまえて気づいたことがある。

「楽しもうと思えば青春なんて後からついてくる」と。