すうしぃの日常

大分生まれ大分育ちで大分在住、21歳の若造。別府市のAPUに通いながら、人生の大海原を絶賛迷走中。

光あれ。

 

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3月11日。


あの時、大分では全く地震がなかった。
だから、正直あの災害は僕にとっては
テレビの画面上のフィクションに過ぎなかった。

流れてくるACのCMと、よく食べてた
フレンチトーストの味くらいしか覚えてない。

 

「東京とか放射能すごいだろうな」

とは思った。


当時は中学三年生で、
給食に福島のもも入りのゼリーが出た時
放射能が怖いということで食べなかった。
隣の席の女子に
「せっかく農家の人がつくったんにひどいやん!!」
と言われ、
ケンカになった。

 

 

 

おととし、津波のひどかった
宮城の荒浜に行った。
津波で更地になった
場所にポツポツと新しい家が建っていて、
「ああ、世の中っていろんな人がいるんだな」
って思った。

 


荒浜の海沿いには観音像が建てられていて、
そこに喪服を着た家族がやってきたのを見た時は、
さすがにいたたまれなかった。

 

 

縁あって福島第一原発の立ち入り禁止エリア内まで
あるおじさんに車で乗せてもらった。


住宅街の家は全部カーテンで閉ざされてて、
人の気配がなかった。
家が悲しそうに見えた。

 

乗せてくれたおじさんはテレビで原発事故の
映像を見て、10年以上働いてた会社をやめて
原発解体の仕事に自ら進んで志願した。
おじさんはすごく使命に燃えていた。

 

 

原発付近の外に出ている人たちは

全身白の防護服とガスマスクらしきものをつけていた。

ここは、そのまま息を吸ってはならない

場所なんだと悟った。

 

 

 

今では福島産の食べ物も食べるようにしてる。
福島の人にお世話になったっていうのもあるし、
市場に出回っている福島の食べ物は
放射能検査にクリアした食べ物で
安心して食べれるから。

 


僕は、3月11日を

「アンハッピー記念日」には

したくない。

 


この日に産まれた命もあるだろうし、
結婚記念日や、
プロポーズした日、
誰かの誕生日っていうこともある。

 

 

 

偽善と言われればそれまでだけど、
3月11日が、
「よし、あんなことがあっても、
無事に生きて乗り越えたんだ」
と再確認できる日になればと心から

願います。